【社説】学校はジャージで登校するべきである

特に私文(笑)は何かと小洒落た人間が多い。そもそも、ファッションとは割と着ている人間の世界観をあらわす。

パッと見て、黒系が多いならば中二的要素を含むことが多いだろう。そこにピアスなどがあれば殊更だ。そもそも黒い服は格式が高いものである。いくらカジュアルとはいえ、それを日常に取り込むのには相応の理由があるだろう。

一方で、嫌味のない黒系ファッションが存在することも確かだろう。その場合、往々にしてワンポイントで他の色が差されていることが多い。

見目高い人間には、ファッションで人間を推測するなど容易だ。つまり、ジャージで登校することで、己を隠すことができる。無闇に自己主張をしながら、大学を歩くのは恐ろしいものはない。望まない関係が生じかねる。むしろ大学での自己主張は、徹頭徹尾成績や研究成果であるべきだ。あるいは、運動部の人間と思われるかもしれない。

印象が悪くなる、と言われればそうかもしれない。しかし、大学の有象無象の人間に対して、なぜ印象を気にする必要があろうか。あるいは、今更関係が既に構築された人間に対して、大学という場において、どうしてそれ以上の印象アップを求めようか。その程度を気にしなければならない関係を、本当に良い関係と言えるのか。

お洒落は、休日やデートのときに楽しめばいいのである。大学という場所でないならば、存分にファッションで好感度を上げて然りだろう。またそれは、相手への配慮でもあろう。つまり、いい店に行くのならば店員や他の客に対して、異性の隣を歩くのならば彼彼女に対してである。

このような人間関係は、むしろ信用で成り立っていることが多い。なるほど大学のような有象無象に対しての信用とは質が違い、個人と個人の関係である。あるいは、やはりそれは出席や成績による関係であって、決して深い関係とは呼べるまい。

本質的情報であるが、ジャージは伸縮性に長けているのに加え、速乾や保温にも優る。大学という場は寒暖差が著しい。例えば北海道と沖縄なみに、教室の中と外、建物の外などは温度差が激しい。ジャージを着ることにより、自らに快適な環境を作れることは明らかだ。

大学というものは多くて週5日であり、娯楽目的で出かけるより頻度が高い。ジャージ登校をすることで、服を選ぶという時間をなくすことができる。片付けるのも同様で、シワなどを気にしなくていいし、洗濯ものを使わない。結果、他のことに使える時間は増えるし、QOLも上がる。その時間でおしゃれ着でも探せばいい。

以上のことを踏まえると、プチプラのジャケットとシャツ、スラックスといった選択肢も有りではある。そのようなブランドの服は、ジャージど同じように、伸縮性や洗濯ライクに作られている。さらに、スーツスタイルはジャージよりも没個性である。街なかを見れば、多くの人間がそのような格好をしているではないか。

このように、大学はジャージで登校するべきであり、おしゃれを楽しむこととは別次元にある。本文は、ファッションについて全く否定するつもりはないし、筆者も服は好きである。

タイトルとURLをコピーしました